横浜工場に配属
久留米で行われた新入社員体験では、ブリヂストンで企業精神や社会に貢献することの大切さを、石橋正二郎氏にじかに教えていただきました。
ひと月の実習を終えて配属が決まり、戸塚の横浜工場計画課に勤務することになりました。会社の敷地内の独身寮で寝起きし、会社内の食堂で朝昼晩と給食があり、仕事一筋の毎日が始まりました。横浜工場で生産していたものには、自転車タイヤ、ゴルフボール、ラテックス寝具のエバーソフト、防振ゴムがあり、計画課ではエバーソフトの生産計画の仕事が割り当てられました。
地方の各支店から次月の販売計画の数字が入ってきます。これをまとめて生産計画を立てます。その計画数を生産現場の職長に伝える仕事は、何もわからない新入社員にとって、きついものでした。自分より年上の経験もはるかに積んだ現場のベテランに、新米の事務方が簡単に数字を伝えるだけで事が運ぶわけはなく、いろいろと悩みました。
上司は元陸軍大尉
直属の計画課長は、旧陸軍の元大尉で生粋の久留米出身であり、頭が鋭く切れるキャリアでした。私が現場の職長に「生産数を納期に間に合わせてもらいたい」と電話でお願いしていると、新入社員である私の机の前に立ちはだかって、「君、そんな上品な言葉づかいで下手に出て、現場を甘やかしちゃいかん。仕事なんだから、きちんと命令口調で、伝えなさい」と、ビシッと言われました。
横浜工場のほとんどがクルメ弁で回っていたので、言葉を理解するのにも苦労しました。月次の締め切りに近くなると、徹夜の連続で独身寮へは寝に帰るだけの毎日が続きました。それほど、エバーソフトの売り上げは伸びていたのです。
だんだん慣れてくると、休みの日に
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