山田式飛行船1号機の初飛行を成功させた曽祖父・山田猪三郎は、すぐさま2号機の開発に取り組みました。今回はその顛末をご紹介します。
「山田式飛行船2号機の多難」
1911年(明治44年)2月7日、山田式飛行船2号機のテスト飛行は無事終了し、翌8日に、5名の乗員を乗せて本格的な飛行が行われました。記録によると、2号機は気嚢容積1500㎥、全長33mと、1号機に比べて大型化されていました。
当初、2号機は順調に飛行していましたが、エンジンに不調を起こして馬力が低下し、風に流され始めました。さらに、猪三郎の降下命令に反し、誤ってエンジンを停止したため、漂流してしまったのです。
やがて、島津忠久公爵邸(五反田)の上空に差しかかると、同邸の高い老木にロープがからまり、飛行船はあたかも同邸に係留された形となりました。島津家では、時ならぬ珍客の訪問に対して、島津公をはじめ総出で歓迎の意を表し、芝生に赤絨毯を敷いて茶菓のもてなしをしてくださったそうです。
「青山練兵場への不時着」
その後、ロープを老木から切り放し、また