これまで曽祖父・山田猪三郎が製作した山田式飛行船1号機、2号機について述べてきましたが、今回は視点を変えて、1号機に同乗した方をご紹介したいと思います。
「明治末期の報道」
当時の新聞や雑誌には、猪三郎の飛行船がたびたび登場していたようです。
新聞では大きなスペースを取り、記事と写真を載せています。また、写真画報「グラヒック」(有楽社)という雑誌では、表紙に猪三郎の写真が使われたこともあります。私は国会図書館で実物を見ましたが、中面には蒸気機関車が走行する上空を、飛行船が堂々と飛行している写真が掲載されており、大変印象的でした。当時、弊社の工場は山手線・大崎駅のそばにあり、そこで離着陸を行っていたので、そのような構図の写真が撮れたのでしょう。
「はね駒」
NHKの朝の連続テレビ小説、通称