村岡ゴム工業(千葉県市川市、村岡実社長)は2017年9月9日に創業100周年を迎えた。創業以来、一貫してマテリアルリサイクルのパイオニアとして、真のリサイクル社会の実現に向け挑戦し続ける村岡ゴム工業。村岡実社長に同社の歩みと次の100年に向けての事業戦略を聞いた。
◆100周年を迎えたご感想を。
よくぞ100年もったというのが率直な気持ちだ。祖父が墨田区錦糸町で再生ゴム事業を創業したのは1917年。当時のゴムは貴重で、リヤカーのタイヤや地下足袋の裏を剥がして、生ゴムを加えて再生ゴムを生産していた。
創業後まもなく、錦糸町の工場は関東大震災で被災。残っていたロールひとつを元に、亀戸に場所を移して、もう一度やり直そうと決めたという。第二次世界大戦中には、栃木県矢板市に工場を疎開。軍需省からの「軍事物資としてゴムを作れ」との要請を受けて、工場を立ち上げる矢先に終戦を迎え、終戦後に矢板から千葉県の市川市に工場を移転しました。祖父は、再生ゴムをひとつの資源として、広範囲に使ってもらえないかと、海外の文献などを参考に、試行錯誤しながら現在の再生ゴムの製造工法を作り上げました。
終戦直後は、タイヤメーカー各社が自社に再生ゴムのラインを持っていましたが、製品を作る方に資源を集中するということで、コストのかかる再生部門が切り離されました。その当時にブリヂストンさんとのお付き合いが始まり、第一工場だけだった市川工場は第五工場まで広がりました。新ゴム消費に占める再生ゴムの比率も6~7%と再生ゴムが足りない時代でした。
◆社長就任後で一番ご苦労された点は。
私が一番苦しんで、最終的な決断をせざるを得なかったのは、市川工場から干潟工場への