第3回 上 「コンクリートから人へ」ですか?
「昨年の政権交代は、一年前の米国大統領選挙同様、「変わる」ことをモチーフとして有権者の支持を得た。その依って立つマニフェストを、政策間の整合性や財源を含めた実現性、なにより日本の将来像について、国民がどれほど考えてあの選択になったのか分からないが、国民の政治への期待を大いに高めた交代であった。
筆者にはここで政権批判を繰り広げるだけの見識も根性もないが、「コンクリートから人へ」というスローガンについては少々意見を述べたい。
そもそも、コンクリートと人は対立概念にならない。二千年以上前、その優れた造形性と強度を活かして、ローマ人はパンテオンなどの大型建築を造っていた。コンクリートは大昔から、安全で安価に人の夢を実現するためになくてはならない材料である。
新政権はコンクリートという言葉を、無駄な公共投資のシンボルにしたかったのだろうが、いささか軽率、コンクリートに携わる人への思いやりを欠くスローガンである。
言葉足らずのキャッチフレーズのせいで、建設業全般が人道の対極のレッテルを貼られたような居心地の悪さを感じてはいまいか。
スローガンだけではない。八ツ場ダム騒動に象徴される、過去の政権の息がかかった公共投資を目の敵にしたかのような、一方的、急進的な政策遂行は、いささか乱暴、フランス革命におけるジャコバン党を想起した人も筆者だけではあるまい。胆沢ダムも中止していたら、また違った話かもしれないが…。
わが国の公共事業費は、平成14年度小泉内閣の構造改革以降骨太の方針の中で継続的に削減されてきた。これは肥大化した赤字財政の健全化に向けた大転換であった。長らく公共事業が景気刺激策として利用され、結果として有用性の劣る投資があったのも事実である。
これは不健全であり、不祥事の温床にもなるので排除されるべきだ。一方わが国は、地震、台風、降雪などの災害要因が強いことと、交通、上下水道などの都市インフラ整備が途上であることなどから、公共事業のニーズは依然として高いというのも事実である。削減される予算のもと、産学官は様々な技術開発や制度改良によるコスト縮減や民間シフトによって対応に努めてきたのだ。
そこへ今回の政権交代、「コンクリートから人へ」のスローガンのもと公共事業費が大幅に削減された。平成22年度当初予算は5・8兆円。前年度当初予算対比18・3%減は過去最大。ピークだった平成10年度14・9兆円の約4割である。(つづく)
(2010年3月1日掲載)