第6回 「政府調達『競り下げ方式』導入に思う」
7月5日の日経新聞1面に「政府調達 競り方式で安く」という記事が掲載された。政府は物品や資材を調達するための入札時に、複数の業者がインターネット上などで安値を競り合う「競り下げ方式」を導入する方針を固め、6日(報道の翌日!)に閣議決定するという。
「競り下げ方式」では、決められた入札期間内であれば他社の提示した価格を見ながら、業者が何度でもそれより安い価格で入札し直せるのが特徴だそうだ。今年度にまずオフィス用品の購入などに適用し、将来は公共工事の建築資材などに広げ、約10兆円に上る政府調達費の大幅な削減を目指すということだ。
これはわが国の将来を考えると、到底見過ごすことのできない事件である。
今回の参議院選挙でも、先進国で最大といわれる財政赤字をどのように解消していくのかが、消費税増税と絡めて大きな争点となった。
政府調達費を削減するのも、財政再建の一つの方策であることもわかる。ただ、消耗品の事務用品ならまだしも、公共工事についても、安く調達することを第一義に考えることが本当に正しいことだろうか。
この夏の集中豪雨の被害を見るまでもなく、わが国は毎年のように大地震や土砂災害が全国を襲い、先進諸国の中で頻度・強度ともに無類の自然災害多発国である。当然、社会基盤整備には諸外国よりもお金をかけなければ、所期の性能を発揮しない。
例えば、橋梁を地震から守る免震ゴム支承を見ても、諸外国の基準よりはるかに大きい地震入力を想定し、バネや減衰といった力学的性能やその精度、限界変形性能の高さなども最高水準になっている。
これらを支えているのは、企業の設計、評価、生産、品質管理などの技術力であり、そこには相応のコストがかかっているのだ。
価格競争が過熱すれば、技術を維持、発展させる余力は無くなり、将来の開発力は失われる。「競り下げ方式」は期間内に何度でも入札し直せるので、勝つためには際限なく値を下げるしかない。そこでの判断基準は、経営的な採算の妥当性や技術的な実現性ではなく、ひたすら相手の競り値だけである。とことん値下げし採算度外視の商売が横行することになれば、良心的に技術開発に取り組む企業もやがて日本からいなくなってしまうのではないか?
あるいは、巧妙な(談合や欠陥隠しなどの)不正の温床になる懸念はないだろうか?
競り下げ方式を断行するならば、品質や性能がどのように要求されたのか、その落札でそれらがどのように担保されているのか、納税者ないし使用者が納得できる形で明らかにされなければならない。
発注者の責任がこれまで以上に厳しく問われることは間違いない。
歳出の抑制であれば、社会基盤整備は公費でという常識を見直し、民間の資金活用をもっと積極的に取り入れることでもできると思う。
公共性の確保等に工夫は要ると思うが、投資の効率は確実に良くなるし、企業のCSR(社会的責任の遂行)推進という観点からも理解を得られると考える。
公共工事は国造り、未来のための先行投資である。後輩や子孫たちに、安物で満ちた貧乏くさい国を残してはならない。災害に強く、持続的発展を支える国土形成という本来の政治の役割を、国民一人一人がはっきり認識し、チェックして行かないととんでもないことになる。
(2010年9月6日掲載)