110年目の脱皮「変化を共有する」経営方針を発表 盛大に記念式典開催
新ブランド戦略で拡販 団体で金メダルを狙いに
創業110周年を迎えた宇都宮製作㈱は4月6日、大阪市都島区の太閤園で第80期経営方針発表会に引き続き、「創業110周年記念式典」を盛大に開催した。
記念式典には社員、社員家族、OBら総勢150名が出席し、宇都宮製作の創業110周年を祝い、さらなる飛躍を誓った。
宇都宮製作は1903年、大阪・北浜で宇都宮宇作氏が、衛生材料を取り扱う「宇都宮商店」として創業。創業当時から、船やシベリア鉄道を駆使してドイツから医療機器を輸入販売し、 医療用ゴム製品を足がかりに、我が国の誰でも知っている水枕や水銀体温計など医療分野の代表商品を世の中に発信してきた。創業から110年、現在は医療、食品産業、介護、工業ゴム製品、生活用品の各分野で手袋やゴム製品などを製造販売しており、特にディスポーザブルタイプの手袋においては、トップシェアを誇る手袋・衛生・医療・介護などの総合メーカーとして業界をリードしている。
記念式典に先立ち午前9時から開催された第80期経営方針発表会では、今年度の経営方針として、「110年目の脱皮 変化を共有する。そしてブランドと呼ばれるように!」が掲げられ、医療介護用品事業部、メディカル事業部、,サニテーション事業部、量販事業部、工業用品事業部の各部門長がそれぞれ重点目標を発表、全社での業績目標として、売上高105億、営業利益3億円を目指す計画。
具体的な今期のテーマはステップアップ。これは変化を共有し、次代へ向けて壁を超える事。真の100億円企業になるための営業戦略として、①戦略製品のアップ②重点製品のアップ③ブランド戦略に基づくハイレベルな新営業体制の構築―を掲げた。
経営方針発表会終了後に出席者一堂が壇上で記念写真。この後、「創業110周年記念式典」に移り、同社OBはじめ、社員家族ら総勢150名が出席し、大西健路社長が別項の通りあいさつ。OB代表の乾杯の音頭で祝宴に入り、宴半ばにビンゴ大会も開催され、社員家族の日頃の労をねぎらった。
宇都宮宇作創業者のルーツ
同社は創立110年を一つの節目とし、衛生メーカーとしての出発点を探るべく創業者宇都宮宇作氏の故郷である愛媛県西予市宇和町(うわちょう)を訪問し、そのルーツに迫った。以下はその抜粋。
宇和町は八幡浜市、大洲市と宇和島市との間に位置し、南予地域の交通の要となる穀倉地帯で、毎年4月末に約5万人が集まる「れんげ祭り」が開催されている。街並み、九州を眼下に臨む笠置峠には4世紀前半の前方後円墳である笠置峠古墳があり、日本で最初の女医楠本イネが二宮敬作からオランダ語と西洋医学を学んだ土地でもある。
宇和島周辺には宇都宮姓が今なお多く見られるという。平安時代末期から鎌倉時代前期、宇都宮郷(栃木県宇都宮市)出身の伊予国の守護宇都宮頼綱(1172―1259)がこの地で勢力を伸ばしたことが、宇和島の宇都宮家の源流であると推測されている。
宇作氏の偉業を称える石碑が2つ、宇和町に現存。1931年に宇和町の石城小学校の講堂新築費用を全額、並びに育英資金として多額の寄付をした功績を称え、今なお石城小学校には感謝の碑が残っている
また1943年、扇形池の要位置付近の決壊により池の水が氾濫する水害があったが、大阪に居た宇作氏が駆けつけ全財産を投げ打つ覚悟で治水にあたったという。当時は戦争中で男手がなく、女性を中心に老人や子供での復旧活動を行っていたところでの偉業だったとのこと。、宇作氏の支援に対し感謝の碑が建てられた。
大西健路社長あいさつ
当宇都宮製作株式会社は創業者宇都宮宇作様が明治36年に創業されて以来今年で創業110年目を迎えます。長きにわたり社業を継続してこられ、本日無事110周年を迎えましたことは、創業者はじめ多くの先輩社員の皆様の時代時代のご苦労の賜物だと感謝しております。またお得意先、仕入れ先や株主の皆様の多くのご支援があってのことだと感謝申し上げます。
宇都宮宇作様が創業した当時は日本の産業界の草創期でありましたが、この中で医療用品の販売という新しい産業に着目して創業されましたことに、私はいつも創業者宇都宮宇作様のフロンティア精神、進取の気鋭に感動しております。創業者は当時なかった社員教育、小学校を出て当社に入った社員に夜間中学に通わせたりとか、独身寮を造られたりとかしております。また、カメラが普及していない時期に、創業時の創業メンバーが写った写真も残されており、それもなかなかモダンなスタートであり、静かで上品な気合いを感じる気がしました。
会社の創業直後に日露戦争、第二次世界大戦の戦火の中で国土が焼けてしまい、当社の社屋も消失したということもあり、今では考えられませんが、社員のみなさんが徴兵で戦地に兵隊として赴いたことなど、今では想像もできないことを、この110年の間に乗り越えてきました。その間、社会環境も大きく変化し、当社の主力商品、流通経路も大きく変化、時には足元が大きく揺らいだ時もあったように聞いています。当社が発売した商品には、水枕であるとか、氷嚢、体温計、水銀の体温計、象牙で作った聴診器など歴史に残るような商品が当社の商品として発売されてまいりました。おかげ様で今日では、医療・食品衛生分野、一般生活の場、そして工業用の各分野において、衛生資材、各種のゴム用製品、樹脂製品を販売して、特に手袋においては我が国でも有数の取扱量を誇る企業に成長しました。
売上高も前79期が99億円となり、約100億円企業になることができました。今年度は新しいブランド戦略を立て、当社から市場への発信をリニューアル、変化を共有することで、先ほどの経営方針発表会で今80期は約105億円の売上げを目標とすることを確認し合ました。
何よりも目標を実現するのは我々社員の思いの共有化であります。
私たちの置かれている経済環境は一見今好景気のように見えますけれども、輸入して商品を売るという商売においては、この一年厳しいものがあると思われますが、私たちの目標はスポーツでいえば個人の金メダルでなく、団体で金メダルを狙っていくことです。団体の金メダルを目標にがんばっていきたい。
110周年の歩み 沿革
1903(明治36)年 宇都宮宇作が、衛生材料を取り扱う「宇都宮商店」を創業。
1911(明治44)年 ダンロップ極東と取引開始。医療用ゴム製品の極東総代理店となる
1918(大正7)年 現在の水枕の原形となる「ライト枕」を発売。
1919(大正8)年 ドイツから体温計の輸入開始。
1927(昭和2)年 販売網を台湾・朝鮮・中国まで拡大。
1928(昭和3)年 ダンロップ極東と総代理店契約を結び、シームレス水枕を販売。
1935(昭和10)年 法人化により「株式会社宇都宮商店」を設立。
1940(昭和15)年 ダンロップ医療ゴム販売を吸収合併。
1943(昭和18)年 「宇都宮製作株式会社」に社名変更。
1946(昭和21)年 「ライト体温計」を発売。
1947(昭和22)年 工業用品部発足。
1949(昭和24)年 ダンロップの日本総代理店になる。
1954(昭和29)年 塩ビ製手袋「ビニライト」を発売。
1964(昭和39)年 東京出張所を開設。
1971(昭和46)年 資本金を3,000万円に増資。
1978(昭和53)年 資本金を5,000万円に増資。
1982(昭和57)年 「トーマプラスチック手袋」を発売。
1984(昭和59)年 「ツーウェイコック」を発売。
1985(昭和60)年 パウダーフリーのプラスチックグローブの製造開始。
1986(昭和61)年 福岡営業所を開設。
1988(昭和63)年 JANコード取得。
1991(平成3)年 「スリーウェイコック」を発売。
1996(平成8)年 本社新社屋完成。CIを実施。新社章、新ロゴマークを制定。
1999(平成11)年 海外商品部を新設。
2000(平成12)年 介護用品部門を独立させて「株式会社暮らし生き活き社」を設立。
2003(平成15)年 創業100周年記念式典を開催。
2004(平成16)年 ISO14001を取得。
2005(平成17)年 ISO9001を取得。
2006(平成18)年 東京営業所を東京支店に改称。資本金を9,000万円に増資。
2009(平成21)年 「株式会社暮らし生き活き社」を統合。2010(平成22)年 福岡支店を業務拡大に伴い移転。
2013(平成25)年 創業110周年記念式典を開催。