杉野ゴム化学工業 深海探査機「江戸っ子1号」で脚光

2014年02月03日

ゴムタイムス社

杉野ゴム化学工業所

杉野ゴム化学工業所 深海探査機「江戸っ子1号」で脚光

 

 東京下町の町工場の技術を結集した無人深海探査機「江戸っ子1号」の潜水実験成功により、㈱杉野ゴム化学工業所(東京都葛飾区)の杉野行雄社長は、一躍時の人となった。
 しかし、優れたコンパウンド製造技術や成形技術により、同社が質の高い製品を製造するとともに、国内外の多様な業界から依頼を受けて製品開発を行っていることは、あまり知られていない。

 数奇な運命で創業
 杉野ゴムは1956年に杉野社長の父親の健治氏が創業した。健治氏は戦前、バイエル社の日本総代理店の技師長を務めていた。しかし、戦火が激しくなるにつれ、同代理店は国に接収されて軍事技術の開発に携わることを余儀なくされた。
 その結果、終戦後は戦犯とされ、占領軍の監視下に置かれた上に、研究開発を行うことも、学校などで教鞭を取ることも禁止されてしまったのである。
 困った健治氏は、下町の町工場の技術顧問を務めて糊口を凌いでいたが、いろいろ指導しているうちに、町工場や電線メーカーなどから、自分たちでは作れない特殊コンパウドの製造をしてほしいという要望が寄せられたため、会社を立ち上げることになった。

 練り屋の草分け

小型建機用の防振ゴム

小型建機用の防振ゴム

 杉野社長によれば、同社は合成ゴムなどの新素材を使った特殊コンパウンドの製造、いわゆる「練り屋」の草分けだという。
 さらに、製品製造の依頼があったことから、成形部門も立ち上げ、現在も主力製品である防振ゴムや電気部品用ゴムなどの開発・製造を始めた。小型建機の防振ゴムについては、かつて7割程度のシェアを占めていたほどだ。

 他社に先駆け中国へ進出
 1980年、健治氏の急逝により杉野社長が後を継ぎ、業績を拡大するとともに、海外進出を検討。他社に先駆け、20年ほど前に中国の大連に生産拠点を移し、防振ゴムなどの製造を始めた。
 中国の工場の従業員数は50名。同国の法律上、杉野ゴムの規模では独資にできないため、合弁会社という形にした。
 電気部品用ゴムについては、中国での生産が技術的に難しいことから、国内で独立した元従業員の工場に生産を委託している。

 本社は開発に特化
 現在、本社は開発に特化して4名の社員が自社製品を開発している他、中国工場とタイの提携工場の技術指導をしたり、様々な業界からの依頼に応じて製品開発を行ったりしている。
 依頼で多いのは、ゴム・樹脂に関わらず特許を取った技術の実用化・製品化で、ある外国の世界的な化学メーカーから、年間数億円という開発費で依頼を受けていたこともある。
 さらにテレビ局からのゴム・樹脂製品の開発依頼も多く、車の大きさの空気を入れて飛ばす蛙や巨大スーパーボールなど、同社が手掛けた製品はいろいろな番組で使われている。

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