大野ゴム工業 大野金一名誉会長 百寿のお祝い
大野洋一社長に聞く
―大野金一会長が百寿を迎えました。ご感想を。
父は昭和16年に大野ゴム工業を創業(当時は個人商店、昭和29年現社名に改称)した。息子の私は昭和28年に生まれ、昭和53年に入社。翌年から会社の経営に携わり一緒に仕事をしてきたが、振り返るとあっという間だったと感じる。これからも元気で長生きしてほしいと願っている。
父は「人は生まれてこなければ出会えない=生年月日は大切」との思いから、自分の生年月日(大正5年8月25日)の数字をブランドマークに使った。私の社長就任(平成5年8月25日)のように、会社のお祝い事などの日程はこの数字にちなんで決めることが多い。
―会長に教えられたこと。
主に2つ。ひとつは、伝えたいことをわかりやすく伝えること。父はキャッチフレーズを作るのがうまい。たとえば「カステラ勤務はダメ、ようかん勤務にしよう」。これは「ふわふわしたカステラではなく中身がぎっしり詰まったようかんのように集中して仕事をしよう」というメッセージ。また工場や倉庫に製品が落ちていると必ず「あ、お金が落ちている」と言う。「製品をぞんざいに扱ってはいけない。お金持ちはお金を大切にする。私たちもお金のもとである製品を大切に扱おう」と。こうした形で社員にわかりやすく伝えていた。
もうひとつはチャレンジ精神。当社は自動車の補修部品を長年扱っているが、この業界では初めて製品カタログを作った。昭和25~30年頃、印刷がまだガリ版刷りだった時代に「お客さんが間違いなく注文できる」という理由でカタログを製作、在庫管理もやりやすくなった。こうした先駆者的な意識とチャレンジする意欲を、自分も会社も持ち続けたいと思う。
―ご自身の社長就任で会長の時代と変わったこと。
父の時代は戦後の混乱期を生き抜いた経験もあり、社内で