今年3月、スペイン・マドリッドで開催された国際航空連盟(本部:スイス・ローザンヌ)の総会において、弊社の創業者であり、私の曾祖父である山田猪三郎(1863~1913)が、気球部門の殿堂入りをすることが決まりました。
これは、曾祖父が1910年(明治43年)に国産初の飛行船を製造し、初飛行に成功したことなどが評価されたものです。
猪三郎は、私にとって父方の祖母の父にあたります。その飛行船は、猪三郎が長年携わってきたゴムの技術をふんだんに使って製造されました。
猪三郎が世界殿堂入りを果たした記念すべき年に、その曾祖父の軌跡を辿らせていただくこととなりました。
「生い立ちとゴムとのかかわり」
山田猪三郎は1863年(文久3年)、紀州藩士・山田用助の子として、現在の和歌山市新堀七軒町で生まれました。その辺りは和歌山城からほど近く、昔は城代と呼ばれて、城の防備を司る藩士らの屋敷が立ち並んでいたそうです。現在も、武家屋敷が一棟だけ残っています。
1886年(明治19年)10月21日、潮岬の沖合において当時京浜~阪神間で貨客の輸送にあたっていたイギリス船籍の「ノルマントン号(3000トン)」の遭難事故が起こりました。遭難と同時に、船長ジョーン・スーク・ドレイクほか英国人乗組員26名は、いち早くボートその他で避難しましたが、乗船していた日本人船客25名とインド人中国人の水夫13名には、救命具すら与えられず、全員が死亡するという悲惨な事故となりました。
この英国人船長の冷酷無情で無責任な態度と、治外法権のために重罪に罰せられないことに対し、日本国中が憤慨したと伝えられています。
しかし、猪三郎は