創刊70周年特別企画 ゴム産業の変遷60年 1945~1953

2016年10月24日

ゴムタイムス社

年表と写真でふりかえる 1945―2005

 


 

1945~1953 戦後復興期

成長産業の基盤築く

 第一次世界大戦で製造技術が飛躍的進歩を遂げたゴム産業は、第二次大戦後、過酷な物質統制の日々を経て、戦後の復興期に果敢に立ち直った。47年に日本自動車タイヤ協会、50年に日本ゴム工業会、53年に日本輸入協会など、各団体の設立が相次いだ。また、52年には国際ゴム研究会(IRSG)への加盟を果たし、第10回総会に初めて参加者を派遣。同年に東京ゴム取引所が設立され、53年には合成ゴム国産化の討議が始まるなど、その後のゴム産業の成長に向けた基盤が整い始めた時期だった。


 

ゴム業界 歴史のひとこま

 1945(昭和20)年8月15日、第二次世界大戦(太平洋戦争)が終わり日本の戦後史が始まるとき、ゴム工業の生産能力は3万6090tで喪失率は43%に及んでいました。この混乱と復興のさなかから立ち上がり、ゴム工業も現在見せている発展への道へと歩み出すこととなったのです。

 45年9月、GHQの製造工場の操業に関する指令で、ゴム工業は原料ゴム6000tの使用許可が出され生産再開されました。結果的には、この年の新ゴム消費は1万5000tでした。46(21)年の物価統制令で、いわゆる「丸公」、公定価格統制が50(25)年に廃止されるまで続きます。この時期に隠匿物資を巡る話や原料の横流し、当時のブラックマーケット「闇市」を賑わせたゴム製品も数多く残っています。

 ゴム統制組合が凍結、生ゴム1万tの解除をGHQに要請するなど、現実には生産に必要な原材料は極端な品枯れ状態。そうした環境下、労働組合法が施工され、労働組合が結成され、以後労使交渉が激化し、ストライキも多発。50年には「民貿」と称される民間貿易も再開されました。

 朝鮮動乱が勃発、ゴム製品も特需をさずかる。この頃に合成ゴムの国産化が注目され、当時の合成ゴム消費量は800tで年々消費を増やしていくのですが、52(27)年には国産化を目的として調査団が米国に派遣されました。56(31)年には日本ゴム工業会が「合成ゴム国産化」にゴーサインを出し、半官半民国策会社「日本合成ゴム」(現JSR)を設立、59(34)年には初の国産合成ゴムが日本ゼオンで生産開始。この間、各地で業界団体が創立され、業界構造が固まっていきました。神武景気、なべ底景気の好況もあれば、不況もあり、そのたびに業界は影響を受け、生産調整やカルテルも結んで克服、あるいは倒産にも見舞われました。

 結果的には新ゴム消費は上昇基調で推移。60(35)年には20万tを上回りフランスを抜いて自由世界第四位のゴム工業国となり、以後は順調な進展を果たしていくことになります。

 


 

1945年(昭20)  
・GHQ、指令に基づき国内合成ゴム工場を管理化に置く
・日本ゴム工業協会設立(11月5日解散)
・ゴム統制会解散、ゴム統制組合設立

終戦直後、廃墟と化した東京

終戦直後、廃墟と化した東京

1946年(昭21)  
・労働組合法、物価統制令が施行 
・ゴム製品類最高販売価格指定
・GHQが生ゴム押収指令 
・ 「我国ゴム工業誕生の地」石碑建立
・ゴム輸入協会が発足 
・護謨タイムス創刊

我国ゴム工業誕生の地

我国ゴム工業誕生の地

1947年(昭22)  
・生ゴム輸入第1船が入港
・日本ゴム、日本タイヤなど労働組合がストに突入、3月19日まで続行
・独占禁止法が公布(7月20日施行)
・ゴム統制組合が解散

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