ゴムタイムス社 【コラム連載シリーズ】私とゴムの履歴書 戦後から現在まで【最終回】~右川ゴム三代目の時代~ 右… 2017年11月16日 17時 今回で最終回となりましたが、右川ゴムは本当に人との出会いに恵まれました。 ■古田土先生の出会い 日本ゴム工業会のご縁でつながりを持った古田土会計事務所の古田土先生の言葉で「利益は目的でなく、社員とその家族を守るためのコストであり、会社存続のためのコストである」という発想が会社の利益計画の出発点で……
ゴムタイムス社 【コラム連載シリーズ】私とゴムの履歴書 戦後から現在まで【13】~右川ゴム三代目の時代~ 右川清… 2017年9月22日 10時 右川ゴムの戦後の歴史は常に人、物、金の問題で悩まされました。 ■社長の役割 社長は人の問題では、ほぼ一人で対処していました。そのため、社員の採用を決断する、誰かが辞めれば、会社が悪いから人が辞めるのだと責められるのも社長です。穴の開いた職場に自ら入っていかなければ会社は回っていきません。売り上げ……
ゴムタイムス社 【コラム連載シリーズ】私とゴムの履歴書 戦後から現在まで【12】~右川ゴム三代目の時代~ 右川清… 2017年9月4日 4時 前回に続いて、私、右川清夫が事業を継承した後の、弊社の歩みを振り返ります。 二木会にて 東部ゴム工業会の二木会で、加藤寛先生に伺った話を思い出します。 「田中角榮の日本列島改造論で突っ走ってきた日本経済は、石油ショックの洗礼を受けなければ、変われなかったと言える。ひと、もの、かねに自由化……
ゴムタイムス社 【コラム連載シリーズ】私とゴムの履歴書 戦後から現在まで【11】~右川ゴム三代目の時代~ 右川清… 2017年8月7日 10時 父・右川洪輔が亡くなる前年の昭和46年、私・清夫が㈱右川ゴム製造所の事業を引き継ぎました。最初の大仕事が埼玉県八潮市への移転でした。 恵まれた工場移転 昭和49年10月、白髭東地区の再開発により、右川ゴムは八潮市に新設した工場に移転。社員22名から一人の退職者もなく、新工場への継続勤務を承諾して……
ゴムタイムス社 【コラム連載シリーズ】私とゴムの履歴書 戦後から現在まで【10】~本社を埼玉県八潮に移転~ 右川… 2017年6月5日 5時 第一次石油ショック 押出しでできる工業用品の仕事をブリヂストンからもらい、横浜工場へ納品にいったこともあります。やがて第一次石油ショックが到来し、油や合成ゴムが手に入りにくくなりました。 重油は丸善石油に勤めていた学校の後輩に頼んで間に合わせてもらったり、合成ゴムは、同期入社のブリヂスト……
ゴムタイムス社 【コラム連載シリーズ】私とゴムの履歴書 創業から戦後まで【9】~私の新入社員体験~ 右川清夫氏 2017年4月24日 5時 横浜工場に配属 久留米で行われた新入社員体験では、ブリヂストンで企業精神や社会に貢献することの大切さを、石橋正二郎氏にじかに教えていただきました。 ひと月の実習を終えて配属が決まり、戸塚の横浜工場計画課に勤務することになりました。会社の敷地内の独身寮で寝起きし、会社内の食堂で朝昼晩と給食……
ゴムタイムス社 【コラム連載シリーズ】私とゴムの履歴書 創業から戦後まで【8】~私の新入社員体験~ 右川清夫氏 2017年2月6日 11時 ブリヂストンに入社 親友のヒマラヤ登山の資金集めで財界を回るうちに、ブリヂストンとのご縁ができ、昭和34年(1959年)、私の入社が決まりました。 新入社員として福岡県の久留米工場で実習があり、その時の思い出をしたためた随筆が手元に残っていたのでご紹介します。 「『クルメ、クルメ、クルメ、……
ゴムタイムス社 【コラム連載シリーズ】私とゴムの履歴書 創業から戦後まで【7】~私の新入社員体験~ 右川清夫氏 2016年11月28日 5時 私の新入社員体験 昭和30年、大学を退学した私は、一年間、自分なりのかたくなな正義感も手伝って、父の経営のやり方に反発しながら仕事に打ち込みました。ある時は資金繰りに困り、信州の母の実家を訪ねて、疎開のときに世話になった伯父に窮状を話し、援助をお願いしたことがあります。しかし、伯父にはきっぱ……
ゴムタイムス社 【コラム連載シリーズ】私とゴムの履歴書 創業から戦後まで【6】~二代目・右川洪輔の時代~ 右川… 2016年8月29日 6時 右川ゴムのまり作り 明治の終わりころには、隅田の墨堤の内側はとっくに電燈がついていたのに、わが右川ゴムの工場と右川家がある墨堤の外側は、まだランプの世界でした。 何でも提を越えて電燈線を引くには相当の費用がかかり、一部個人負担ということで、頑固な祖父・慶冶と電燈会社との折り合いがつかず、当分ラ……
ゴムタイムス社 【コラム連載シリーズ】私とゴムの履歴書 創業から戦後まで【5】~二代目・右川洪輔の時代~ 右川… 2016年8月8日 6時 「人に歴史あり」「その人は、その人に合った出来事に遭遇する」 この言葉通り、私の経歴は、父、母、母の兄、小学校の恩師などの影響を受け、私の個性に合わせて、いろいろな出来事に遭遇してきました。個人に歴史を作る能力はなく、歴史が人を作るといわれる通り、私が歴史を作ったわけではないことをお断りしてお……
ゴムタイムス社 【コラム連載シリーズ】私とゴムの履歴書 創業から戦後まで【4】~二代目・右川洪輔の時代~ 右川… 2016年6月11日 7時 前回に続き、戦争中の様子とともに、二代目・洪輔時代の㈱右川ゴム製造所の歴史をたどります。 なお、右川ゴムは東京大空襲によって記録を全て失っているため、前回と同様、ご縁のある方々の著作等を引用しながら、戦争前後のゴム産業の様子をひも解いていきます。 ドイツを手本に 工業製品の発展に戦争が寄与し……
ゴムタイムス社 【コラム連載シリーズ】私とゴムの履歴書 創業から戦後まで【3】~二代目・右川洪輔の時代~ 右川… 2016年4月16日 8時 今回から、㈱右川ゴム製造所の歴史は、二代目で私の父・右川洪輔の時代に入ります。 父・洪輔が入社 創業者の右川慶治は4男1女に恵まれました。長男・康夫は医者になり、次男・謙二と三男・鼎造が右川ゴムを継ぎましたが、四男は夭折。五男であった洪輔は、日本冷凍㈱に勤務していました。 当時、日本の企業が……
ゴムタイムス社 【コラム連載シリーズ】私とゴムの履歴書 創業から戦後まで【2】~右川ゴム初代の時代~ 右川清夫氏 2016年2月8日 7時 前回に続き、創業者・右川慶治の講演録から黎明期のようすをひも解き、㈱右川ゴム製造所の歴史をたどります。 手さぐりのゴム作り ゴムの実用化を果たした慶治は、明治33年まで鐘ヶ淵紡績会社(鐘紡)で嘱託医を務めていましたが、医者の傍ら、朝晩にゴムの仕事をするのは大変だと、丹波から義弟の大石虎之……